新年明けましておめでとうございます。今年は年明け早々とてつもなくうれしい第95回箱根駅伝の優勝のニュースが舞い込んで来ました。往路での2位という成績。手に汗握る復路は8区で1位になってから、最後までそれをキープして見事大会新記録で総合優勝を果たしました。

ゴール直後に霞が関ビル東海大学校友会館で開かれた祝賀会には、大勢の同窓生を中心とする関係者の皆さまが集まり、続いて選手たちが参加する陸上競技部の箱根駅伝慰労会も催されました。初めての優勝の経験ですが、その後のメディアの反応を見るにつけ、インパクトの強さに改めて驚きを覚えています。両角監督には300通余りのお祝いメールが届いたとのことですが、私にも100通位は頂きました。

本来なら純粋に監督や選手の健闘を称えるに留めるべきでしょうが、校友の多くが感動を分かち合ったことに鑑みますと、熱が冷めない内にこの栄光を学園・大学の更なる結束の起爆剤に活用するべきではないかと思っています。

駅伝のレース内容は以下の公式ホームページで公開されていますので、敢えて振り返る事はいたしませんが、どこにも掲載されていないエピソードとして、東海大学医学部付属東京病院の来間事務部長から伺ったお話をいたしたいと思います。

■第95回箱根駅伝総合優勝
https://www.u-tokai.ac.jp/campus_life/tokai_sports/news/detail/post_140.html

来間さんは今から30年以上前は東海大学の体育課勤務で、首都野球リーグの担当をされていました。東海大学と共に首都野球リーグのメンバー校である日本体育大学は、当時駅伝黄金期で1970年代後半から80年代前半にかけて4度優勝していました。

1983(昭和58)年の第59回箱根駅伝で日本体育大学が優勝した時、東海大学は5位でしたが、大手町ゴールに松前重義先生が現れ、そこにいた当時日本体育大学の野球部監督であった上平氏に「上平君優勝おめでとう。近いうちに必ず追い越しますから待っていて下さい。」と告げたそうです。その時の松前先生は、鬼気迫る形相であったと上平氏は述懐されています。

それから36年の年を経て、松前重義先生が鬼気迫る思いで臨んだ箱根駅伝に、初めて優勝の栄冠に輝いたのですから、万感の思いで学長として望星塚の墓前に参り勝利を報告して参りました。「よくやった。」と先生がお声をかけて下さったような気がいたしました。

また1月7日には法人本部での年頭所感が松前達郎総長・松前義昭理事長からありましたが、その中でも今回の箱根駅伝のことに触れられ次のように述べられました。総長からは「今回の勝利はスピードにスタミナが相まっての結果であり、先駆けであることを標榜する我々も、この厳しい時代をスタミナとスピードで乗り越えて行かなければならない。」とのお言葉があり、理事長からは「区間賞は多くなくとも、それぞれの選手が持ち場の責任を果たしたことで大会新記録という結果を生み出した。我々も各自がその責任を全うすることで100周年に向けての歩みを確実なものにすることが出来る。」と我々の奮起を促されました。

今回のブログは箱根駅伝のみの話題になってしまいましたが、それ以外にも東海大学スポーツの成果は沢山あります。それは別の機会に触れさせて頂きたいと思います。

さて、重ねて第95回東京箱根間往復大学駅伝競走の勝利を皆さまと共に喜び合うと共に、監督・部員・関係者の方々に心からなるお祝いを申し上げて、このブログを閉じたいと思います。

箱根駅伝優勝の勢いをエネルギーとして2019年皆さん頑張りましょう。